『楽園追放』の感想は「かわいい」しかありえない

https://twitter.com/nyalra/status/536132879495872513

こういういい感じのツイートはいくつか見ていたんだけど、TwitterとCMだけという前情報ほぼなし状態で見てきました。

いやいや〜、まさかそんな。「かわいい」しかないとか、そんなわけないでしょうが!と思って見た直後のツイートがこちらです。

いやもうホント、「かわいい」しか出てこない。驚愕ですね。

でまあ、なにがそんなにかわいいのか、気づいたことを走り書き程度でメモしておこうと思います。

* * *

アンジェラ・バルザックちゃんのかわいさは身体性・リアリティから得られている部分が大きいのだと思う。身体性とはつまり、彼女自身が肉体を有していると鑑賞者が錯覚できるかどうか、ということ。

ディーヴァの彼女は身体を持たない二進数なわけだけど、それがリアルワールドに降りてきたらどうか。彼女が踏みしめた地面には足あとが残り、砂をすくい上げれば溝ができる。すなわち、彼女は実体をもって世界に「存在している」。

環境を共有する物質の存在は、かわいさに限らずあらゆる人間性を伝達するのに役立つもの。物質に魂が宿ると言い換えてもいい。ほら、フロンティアセッターちゃんだって、あのロボット姿を現してから愛おしさがじわじわ湧き上がったんだから。

でまあ、『楽園追放』の主題のひとつに肉体の有無というものがあった。ディーヴァとリアルワールドの対比構造。ロックは骨で聞くんだよ。アンジェラちゃんがリアルワールドに来てから、その辺のテーマと絡めながら、彼女が肉体を得たことを立て続けに表現する。それは、彼女が我々と同じ身体を持っていると錯覚させることとイコール。

強がってずっと寝ないでいたら目の下にくまが出来る。これ、すごくかわいい。

このかわいさって、単純にキャラクターの魅力でもあるし、くぎゅの魅力でもあるんだけど、その背後には身体性のマジックがある。彼女と我々は何かを共有できているのかもしれないという錯覚がある。

その後、調子に乗ってチンピラと戦ってピンチになる。これは、鑑賞者が予測できた展開。つまり、我々が彼女の存在を錯覚して、特性を認識して、将来を予測して、その通りになっている。こういう「キャラクターの動きや将来の展開を予測できる/理解できる」という感覚は、彼女が我々に理解可能なものという錯覚を与える。

で、そういう状態(我々は彼女と何かを共有しているかもしれないし、彼女のことを理解できるかもしれないという錯覚状態)になって、アンジェラちゃんの心の内にある「ディーヴァに認められなければならない」「功績を挙げなければならない」という想いを知らされる。

つまり、身体の反対に位置する社会性が彼女のアイデンティティであることを知らされる。

このへんが人間社会に疲れた鑑賞者の心に響いたかどうかは、実はそれほど問題でないと思うのでスキップするけど、重要なのは彼女が身体的な欲求を有していなかったという点*1

つまり、ここでアンジェラちゃんと鑑賞者は一瞬切り離されてしまう。鑑賞者は彼女となにも共有できていないのかもしれない、という恐怖。

なんだけど、ここからが怒涛のアピールタイム。おかゆを食べるの、超かわいい。あれってつまり、彼女は身体を有していて、身体が食事を欲しているということ。つまり「こちら側」であると感じられる瞬間なんだと思う。それから、あの身体が単なる情報の入れ物ということはなく、寝なかったり食べなかったりしたら体調崩すし、食欲っていう身体由来の欲求も備わっている、普通の人間の身体であることの証明でもある*2

だから安心できるし、別のシーンでもの食べたり、なんか入れられて味変わったのに驚いているのとか、すごいかわいい。

それから、彼女がディンゴに対して「ディーヴァの人に恐怖を感じないのか」と問いかけたのもすごくいい。あれって完全に彼女が恐怖を感じているからこその質問なんだけど、じゃあ恐怖ってなんだって考えると、彼女が身体とかいう得体のしれないものを持て余しているからこその恐怖なんだろうと思う。こういうの、すごくかわいい。

で、最後が「仁義」なんだけど、あれもうまい。彼女は身体を得たことで新しい価値観をたくさん手に入れたんだけど、じゃあディーヴァにおける承認欲求はどうなったんだっけ?って考えると、それと決別したことを明確に表すのが「仁義」なんだと思う。仁義って、要するに理屈じゃない人と人との関係性(社会性の一部)だから。

仁義のために叫びながら体張って戦う姿は、社会性までアップデートされた、まさにすべてが新しくなったアンジェラちゃんで、それは完全に鑑賞者と多くのものを共有できる「人間」であると言える。

SFの文脈で言うと、こういう人格と身体の関係に言及する作品は多い(と思う)。『楽園追放』の場合は、そういうSF的なテーマ・世界観のすべてがアンジェラちゃんのかわいさに注ぎ込まれていると言える。

まだまだ書き出しきれてない感じがするけど、今ならありとあらゆる要素を「それはアンジェラちゃんのかわいさの演出のためにあります」って言える自信ある。

こんな走り書きが『楽園追放』の全てだと言うつもりはないので、あくまでこの記事を一言で表すなら、なんだけど、「ヒロインが身体を手に入れて苦労しながら新しい価値観を手に入れて、その価値観とやらは鑑賞者が強く共有・共感できる類のものであったから、ヒロインがとてもかわいい」っていうことだと思う。

だから、すごい鋭かったり、独特な感性でも持っていない限りは、感想は「かわいい」しか出てこないと思う。

*1:より厳密に言うと、鑑賞者が共有できるレベルの身体的な欲求を有していなかった

*2:あと、身体由来の欲求ってちょっと性的で、そのへんのアピール力も高い

マンガのはなし(2014/11)

直近読んで印象に残っているマンガをゆるく紹介します。とはいえ、初回ということで、ちょっと古いのもぽつぽつ出していきます。

コンプレックス・エイジ

26歳コスプレイヤーの話。本当にアニメが好きでコスプレが好きでやっているだけなのに、年齢の問題とか、職場でバレちゃう問題とか、そういう現実が次々と襲いかかってきて、全く笑い事でなく胃が痛くなるような話です。

アニメのキャラクターが好きすぎてちょっとでも近づきたくてコスプレをするんだけど、そこにトライするほど絶対に同じ存在にはなれないという隔絶を実感してしまう、という不幸が描かれます。

オタク趣味って、胸を張って「これが好きだ」って言えたとしても、心のどこかにはコンプレックスが存在しているもので、ちょっとした事でイライラしてしまったり落ち込んだりとか、そういうことが多いと思う。そういう些細な感情の変化もうまく表現できていて、その辺も含めてすごく胃が痛くなる話です。

例えば、敵意とか悪意とかあるわけではなかったとしても、自分のオタク趣味についていろいろ質問されるのってつらい。そういうのに対して「何か嫌」と感じたり、「ああいう上辺の興味が一番怖い」と思ったり、そういう拒絶したくなる気持ちがすごくよく分かる。たぶん大なり小なりオタクなら誰もが経験するコンプレックスだと思う。

「どうしてわたし達が逃げないといけないの?」っていう、どういうようもない問いかけが胸に突き刺さります。

カフカ

成人女性、コンプレックスつながり。こちらはフリーター24歳。

なんか中高生くらいの頃って無根拠な無敵感があって好き放題やれるんだけど、いろいろ経験して自分は全然特別じゃないしむしろ凡庸以下みたいな、そういう卑屈で諦め感の漂う女性が主人公。

で、その「無敵時代」に付き合っていた彼氏と再会するのです。

それで、まあその元彼氏がぶっちゃけイ○ポなんですね。女性に反応しないんです。それが主人公氏にだけは反応して元気になる。要するに特別なんです。卑屈ミジメ女子が特別なのかもしれないって感じてしまう。

これがめちゃくちゃかわいい。

『コンプレックス・エイジ』は本気で胃が痛くなるけど、こちらはコメディのノリが強くて、のんびり笑いながら可愛いものを愛でられるタイプです。少女マンガですが、イ○ポ含めてシチュ設定が非常にうまく、いい意味で予想を軽く裏切りながら話が展開されるので、男性が読んでもめちゃくちゃ可愛い24歳フリーターさんです。

ラーメン大好き小泉さん

男性が読んで可愛い女性主人公つながり。こちらは女子高生。

無表情、寡黙な美少女が足繁くラーメン屋に通って、麺とスープを掻き込んで恍惚の表情を浮かべるだけのマンガです。

基本的にそれだけなんだけど、本当に本当に本当に美味しそうに食べるんです。JKがね、美少女JKがね、ラーメン店を巡ってすごい美味しそうにラーメンを掻き込むんです。それを見ているだけで幸せになれるんです。

そういうマンガです。

あと、有名ラーメン店とか出てくるので、ラーメン好きならなお楽しめるかと。

賭ケグルイ

恍惚JKつながり。こちらはギャンブル狂。

学内のヒエラルキーがギャンブルの強い弱いで決まるっていう設定で、ギャンブル大好きな美少女転校生が大暴れする話。大勝負の前にこの転校生が恍惚の表情を浮かべるんだけど、ちょっとこわい。

設定も展開も非常にガンガンJOKERらしくて、個人的には満足度高いです。

ギャンブルはオリジナルなんだけど、ぱっと読んだ感じゲームとして破綻してなさそう。というか、駆け引きとか面白そうなものもあって、クオリティ高いと思います。

オリジナルなのにルールの説明、駆け引きのキモ、それから相手が仕込んだイカサマを見抜くところまでコンパクトに描けていて、展開が早いのもすごくいいです。

余録

一言ではなかなか良さを伝えられないので後日あらためて記事を書こうかなと思っているのですが、『フラグタイム』がすごく良かった。

本当に素晴らしい百合です。百合とはすなわち『フラグタイム』です。

フラグタイム 1 (Championタップ!)

フラグタイム 1 (Championタップ!)

フラグタイム 2 (Championタップ!)

フラグタイム 2 (Championタップ!)

あと、『ミミクリ』も、なかなか一言では表現できないけど面白かった。コンテンツって、「なにかを与えてくれるもの」と「なにかを奪ってくれるもの」に分けられると思っているのですが、『ミミクリ』は完全に後者です。繊細なエログロです。

ミミクリ

ミミクリ

  • 作者:ai7n
  • 発売日: 2014/09/18
  • メディア: Kindle

それではまた。タイトルに(2014/11)って書いてるのは、「12月も書くよ!」っていう意味ではなく、「11月はもう書かないよ」っていう意味なのでお間違えないようお願いします。

TAMACWORDSに変わりました

大変ご無沙汰しております。直近のエントリがまさかの3月15日なので、なんとちょうど8ヶ月前だそうです!

もはやブロガーを名乗れないなあと思ってTwitterのbioからこっそり「アニメブロガー」の看板を取り下げたのですが、それすら数ヶ月前の懐かしい話となってしまっています。

最近は見るアニメの本数もめっきり減ってしまって、だからこそ何か書きたいなという欲が強くなってきたので、ブログをリスタートします。

特に肩肘張らずにのんびり続けていこうかなと思っていますので、よろしくお願いいたします。なんかもう、ついでなのでブログタイトルも変えてしまいます。

「TAMACWORDS」として再始動です。

変えた理由というか、前のブログタイトル「of the contrast」って、物語の構造分析を主の目的としていた時に、その方針を表したタイトルだったんですが、今はそれにはそこまで興味はないなーというのがあります。

じゃあ今の興味はって考えると、コンテンツの在処、みたいな話で、その辺はややこしいのでまたどこかで書き出したいなと思っているところですが、とにかくコンテンツ鑑賞者の内面にあるので、じゃあ魂だ!っていう感じです。何言ってるのかよくわからないですが、8ヶ月前の 初音ミクの思い出 - TAMACWORDS とか非常に魂の話をしていると思っています。

あ、「TAMACWORDS」は「タマシイワーズ」とか読んでもらえると。

ついでについでに、デザインも変えてみました。
f:id:mukaiamanori:20141115160715p:plain

はい、およそアニメブログらしからぬ雰囲気です。自分でもびっくりです。

素敵テンプレートがあったので、色とか要素のサイズとか細かいところさくっとカスタマイズして使わせていただきます。タイトルのフォントはRalewaysという最近のお気に入りです。

それでは今後ともよろしくお願いします。

初音ミクの思い出

ボカロには詳しくないけど、おっさんが思い出話をします。たぶんあんまり共感できる話じゃないよ。

きっかけはこの記事。
ボカロ原理主義と会話したんだが面白い

ボカロ文化に関して言うと僕はたぶんそこそこの古参で、ここで語られていることを読んだ限りでは、今の若い人らが知りもしないような時代にボカロを聴くのをやめてしまった人です。彼らの言うところの「キャラ萌え」の時代の人間ということ。

この時代のことを表現して、
初音ミクという神話のおわり - 未来私考
という記事では以下のように言及されています。

そうゆう状況の中で、まるで天から降ってくるミクの言葉を代わりに我々に伝えてくれるかのように、初音ミクによる自己言及的なオリジナルソングが次々と発表されていった。それは、あの当時夢中になってそれらの曲を聴き漁っていた人にしか分からない感慨かもしれない。あの時、あの瞬間、初音ミクは間違いなくモニターの向こう側に、歌声の向こう側に存在した。そうゆう共同幻想の中で初音ミクのブームはものすごい勢いで巨大化していったんですね。

当時の初音ミクに対する熱は、本当に「モニターの向こう側のミクに会ってやる」というようなもので、この熱狂は聴き漁っていた者にしか理解できない体験だったと思う。愛とか天使とか、そういうのは便宜上その言葉を使っているだけで、初音ミクは本当に新しい概念だったと思うし、それを理解してやろう=初音ミクを捕まえてやろうという壮大なモチベーションでもって毎日毎日ニコニコ動画で聴き漁っていたのだと思う。

『melody...』はそういう時代を代表する曲だと思う。

『melody...』は僕に初音ミクという衝撃を与えた曲で、そこには初音ミクなるものが存在していた痕跡を感じた。ほとんど宗教の話。「ああ、この楽曲の中に初音ミクはいたんだ。その残り香を感じる」です。僕にとっての初音ミクは、イコール『melody...』なんです。

で、そういうふうに初音ミクと接していた僕にとってのターニングポイントは、やっぱり『メルト』なんですよね。そこに初音ミクの残滓を感じることのできない(つまり、初音ミクが歌わなければならない楽曲でない)曲のメガヒットは、「初音ミクという神話のおわり」の始まり告げたのです。

ここからは他のコンテンツと区別がつかなくなっていきます。ニコニコにアップロードされる膨大なミク曲の中から「ミクの残滓の残滓=神話時代の残滓」とでもいうような楽曲を探し出すという作業は、例えばタワーレコードに行って片っ端から試聴して自分のお気に入りのバンドを探すことと同質です。

そういうわけで、僕の「残滓の残滓」探しはフェードアウトしていき、その後、ボカロ周辺出身の作曲家とか歌手がメジャーに出てきたりアニソン歌ったりよく分かんないけど書籍化されてるのを見たりファミマに行ったらミクさんいたりと、時々「ボカロ」という言葉を聞きながら、ああ、一大市場になったんだなあとか思っていたらもう6年くらい経っているらしい。

で、最初のボカロ原理主義の人と話したっていう記事を読みながら、「そうだったなあ」とか「今はそんなことになっているのか」とか「自分にとって初音ミク=『melody...』だったなあ」とか思ってたんだけど、その『melody...』のメロディーが思い出せない。

これは衝撃的。コンセプトははっきりと覚えているし、それが自分にどういう影響を与えたのかも自覚している。でも、肝心の楽曲そのものを少しも思い出すことができないんです。

じゃあ『メルト』は? って考えると、すぐ思い出す。歌える。『ワールドイズマイン』、OK。

ニワカの間で古参扱いされているという『千本桜』なんて、大した回数聴いてない(フルで聴いたことないかもしれない)のに、サビは歌える。

『消失』はもともと歌えるような曲じゃなかったけど、あれ、どんな曲だっけ?

『えれくとりっく・えんじぇぅ』は? だめ。

『ハジメテノオト』は? 分からない。

『私の時間』は? これも覚えてないとかアホか俺。

当時あれだけ熱心に聞き入っていた曲が全く思い出せない。すごいショック。

でもこれって、僕が楽曲そのものじゃなくてミクの残滓に注目していたことを考えると、たぶん当然なんだと思います。曲を聴いていたんじゃなくて、曲の向こうの初音ミクに耳を傾けていたんだから*1

僕の中で初音ミクの思い出は、具体的な体験ではなく、いわば概念化された体験でもって記憶されているようです。『melody...』を初めて聴いたときの衝撃と、その後の熱にうなされながらミクを探した体験は、僕の中で既に完全に言語化されてしまったということだと思います。

少し寂しい。


***


ここまで書いて、懐かしいので上で挙げた楽曲を聴いて回りました。

『melody...』は、やっぱり僕をすごく興奮させてくれる。鳥肌が立った。『メルト』は、やっぱりいい。すごくいい曲。

あと、アップロード日を見て恐ろしいことに気付いたんだけど、『melody...』が2007年10月27日で『メルト』が同年12月7日ってことは、(『メルト』後も「ミクの残滓」を表現した曲のブームは残るとしても)僕が初音ミクに熱狂していた時期ってほんの数ヶ月だったっていうことになる。もっと長いと思ってた…。

それから、件の原理主義者氏が

ODDS&ENDSさえあれば俺はボカロを心に抱いたまま生きていける

とまで言う『ODDS&ENDS』を聴いてきた。

たぶん聴いたことはあったと思うけど、タイトルとか知らなかった。これすごいいいな。思うに、ミクの神話の時代が、あまりに短い第0世代で、ryoが引っ張ってくれたのが、ミクが正しく楽器として用いられた第1世代。つまり楽曲の時代。『ODDS&ENDS』は第1世代のミク達に捧げる鎮魂歌なんだろう。ちょうど第0世代へのそれが『サイハテ』だったのと同じだ。

今がどうなっているのかは詳しく知らない。久しぶりのニコニコのコメント眺めてたりすると、回顧厨的にはあまりいい時代ではないらしい。まあ、知らないので言及しないけど。

それでも初音ミクというのは第3世代へ、第4世代へ進んでいくんだよ。誰かが支持したミクは死に、別の誰かがミクを支持する。当時僕が捕まえ損ねたミクはもはや僕の知ってるミクじゃなくて、たぶん永遠に捕まえることはできない。たぶんこれはつまり失恋だ。だから久しぶりの『melody...』であり得ないくらいの鳥肌が立つ。ぶっちゃけ泣きそうになった。やばかった。

せめて『melody...』の体験を心にとどめ、その移り変わりを眺めるような人であるべきだと思った。

*1:そういう意味では、『メルト』以降の楽曲が評価される時代は圧倒的に「正しい」のだとも思う。

2013年このマンガがすごかった10選

2013年中に書きたかったけど書けなかったから過去形。年末から厳選作業と称して読み返しているうちに年が明け元旦も過ぎてしまったでござる(さらに書いてるうちに2日も終わったでござる)。

10位 エバーグリーン

エバーグリーン 2 (電撃コミックス)

エバーグリーン 2 (電撃コミックス)

まさに「太陽のような」という感じの眩しいヒロインが魅力的すぎるお話。『とらドラ!』『ゴールデンタイム』の竹宮ゆゆこ原作で、非常に彼女らしい感じで、ちょっとままならない感じの学園ドラマとなっています。ちなみに太陽のようなヒロインは鼻血出します。めっちゃ可愛いです。

9位 ヴィンランド・サガ

ヴィンランド・サガ(13) (アフタヌーンKC)

ヴィンランド・サガ(13) (アフタヌーンKC)

  • 作者:幸村 誠
  • 発売日: 2013/07/23
  • メディア: コミック
北海のヴァイキングたちの戦いの物語。すごいのは2013年に限った話じゃねーんですが、13巻は特に素晴らしかったので。アシェラッドの死をきっかけにトルフィンが戦士を辞めてから、農奴をやりながらどんどん次の「戦い」を見据えていく過程が大好きなんですが、その節目にあたる巻で、本当に素晴らしかった。

8位 千と万

世界でいちばん可愛い生き物は女子中学生ですが、詩万ちゃんはガチで可愛い。男やもめで女の子育てる系のマンガはずっこいくらい名作が多いんだけど、本作はマンガ表現のセンスがキュートで、おっさんマンガ家が描いてるのとはちょっと違います。詩万ちゃんのちょっとめんどくさがりなところとか、いたずら好きなところとか、自由なところとか、真面目なところとか、さじ加減が完璧すぎて床ローリング必至。

7位 私の世界を構成する塵のような何か。

2013年は女子大生とかOLとか大人のヒロインの魅力を再認識した一年でした。本作では女子大生たちのサバサバした(でも結構純情で、ついでにエロエロな)百合が、群像劇っぽく描かれます。キャラクターを型にはめて捉えさせない深さが大好き。

6位 実は私は

実は私は 4 (少年チャンピオン・コミックス)

実は私は 4 (少年チャンピオン・コミックス)

  • 作者:増田 英二
  • 発売日: 2013/12/06
  • メディア: コミック
めっちゃおもろいドタバタ系アホラブコメディ。なんでも顔に出ちゃって秘密のできない男子、通称「アナザル(=穴の空いたザル)」が、大好きな女の子が実は吸血鬼って知っちゃって、その秘密を頑張って守ろうとするんだけど、残念ながらアナザルはアホで、でも周りの連中も全員アホだからなんか微妙なバランスで上手いこといってる、みたいなテンション高い系ラブコメです。三角関係、四角関係、あるよ!

5位 甘々と稲妻

甘々と稲妻(1) (アフタヌーンKC)

甘々と稲妻(1) (アフタヌーンKC)

  • 作者:雨隠 ギド
  • 発売日: 2013/09/06
  • メディア: コミック
これも男やもめで女の子育てる系のマンガです。話の中心にあるのは手作り料理。BL作家であり百合作家である雨隠ギドの描くキャラクターは、長身細身メガネのおっさんも、ちょっと目つききつい黒髪女子高生も雰囲気セクシー。それで、二人の間にはおいしそうにごはんを食べる元気いっぱいちっこい娘っていう、チャームポイントで溢れかえっているという隙のないページ構成。不慣れな料理でドタバタしながらもすごく楽しそうでハッピーを振りまきまくって、ご飯もめっちゃ美味しそうに食べるんだけど、もう見てるだけでお腹いっぱいです!

4位 僕だけがいない街

かなり挑戦的なサスペンス。周囲で何か事件や事故が起こるときに少しだけ時間が巻き戻ってしまう「再上映(リバイバル)」という能力を持った青年が主人公。何者かに母を殺された彼が「再上映」を願ったところ、小学生の頃まで時間が巻き戻される。そこで、小学校の頃に巻き込まれた連続誘拐殺人事件が母の死と関係しているのだと考え、薄れた記憶を少しずつ紐解いていきながら小学校の頃の事件そのものを阻止しようと奮闘するも……みたいな、ストーリー自体がすごく良質なサスペンスです。それだけじゃなく、例えば見開きの使い方とか、1巻2巻3巻でストーリーの性質を大胆に切り替えてきたりとか、マンガ表現としてかなりチャレンジをしていて読者を惹き付けてくれます。

3位 惡の華

惡の華(9) (講談社コミックス)

惡の華(9) (講談社コミックス)

  • 作者:押見 修造
  • 発売日: 2013/08/09
  • メディア: コミック
素晴らしい。これほど見事な告白シーンは存在しない。中村と佐伯と離れて、引っ越して、それで新しい学校で常磐に出会って、確実に惹かれていくんだけど、過去が春日にそれを認めさせない。「中村の代わりだ」「これは依存だ」という自問自答。それに対して春日は常磐への告白という行動で答える。ついに春日が主体的に動いたという意味もあるし、告白の言葉も非常に彼らしくて素晴らしいし、クソムシたる彼がこれから何を為すかはまだまだ分からないけど、本当に気高い告白で、大好きなシーンです。

2位 空が灰色だから

[asin:4253217192:detail]
僕の2013年の最大の収穫はこの名作に出会えたこと。月イチのペースで全巻まるまる読み返していました。ナンセンスだったりコメディだったりシリアスだったりするオムニバスなんだけど、そういう既存のボキャブラリーでは本作のことを少しも伝えられる気がしません。いちばんしっくり来る表現は「無性にざわつく」です。とにかく読んでみるべし。

1位 彼女とカメラと彼女の季節

彼女とカメラと彼女の季節(3) (モーニング KC)

彼女とカメラと彼女の季節(3) (モーニング KC)

  • 作者:月子
  • 発売日: 2013/07/23
  • メディア: コミック
カメラっていうのは撮影者と被写体の関係を残酷なほど忠実に写し取る機械だっていうのは僕の個人的なカメラ哲学なんですが、そういう僕の考え方とかなりマッチしています。同じ時間に同じ場所で同じ方を向いてシャッターを切っても、人が違えば絶対に同じ写真にはなり得ないんです。それは技術的要因、撮影者の感受性の要因もあるんだけど、それ以上に、撮影者が被写体に与える影響が存在するからです。そういう意味で、写真は他ならぬ撮影者を切り取る装置であると言えます。

本作は、女の子2人と男の子1人の3人のメインキャラクターの憧れ、嫉妬、自己嫌悪、愛情といった思春期的な感情をカメラという装置で鮮やかに切り出した傑作です。写真を撮るという行為には「被写体を捉えたい(捕らえたい)」とか「被写体に近付きたい」とか、あるいは「被写体との距離とりたい」とか、いろんな意志が存在します。「こう撮りたい」とか「こう撮られたい」といった感情が、強烈に他者を意識してしまうという思春期の感情と見事にシンクロして描かれます。

女2+男1の百合とか、ボーイッシュとか、そういう構成要素だけでも完璧に僕のストライクなのに、さらにこういったカメラっていうモチーフが利いて奇跡的な傑作となっています(個人的に)。

あと、タイトルにも入っているように季節に対するこだわりが強いようで、3巻の秋から冬への主人公あかりの変化(服装と一緒にどんどん暖かい感じになる)とユキの変わらなさ(冷たい表情と雪)の対比とか、そういう表現もとても美しいです。

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付録:次点

(順不同)