『楽園追放』の感想は「かわいい」しかありえない

https://twitter.com/nyalra/status/536132879495872513

こういういい感じのツイートはいくつか見ていたんだけど、TwitterとCMだけという前情報ほぼなし状態で見てきました。

いやいや〜、まさかそんな。「かわいい」しかないとか、そんなわけないでしょうが!と思って見た直後のツイートがこちらです。

いやもうホント、「かわいい」しか出てこない。驚愕ですね。

でまあ、なにがそんなにかわいいのか、気づいたことを走り書き程度でメモしておこうと思います。

* * *

アンジェラ・バルザックちゃんのかわいさは身体性・リアリティから得られている部分が大きいのだと思う。身体性とはつまり、彼女自身が肉体を有していると鑑賞者が錯覚できるかどうか、ということ。

ディーヴァの彼女は身体を持たない二進数なわけだけど、それがリアルワールドに降りてきたらどうか。彼女が踏みしめた地面には足あとが残り、砂をすくい上げれば溝ができる。すなわち、彼女は実体をもって世界に「存在している」。

環境を共有する物質の存在は、かわいさに限らずあらゆる人間性を伝達するのに役立つもの。物質に魂が宿ると言い換えてもいい。ほら、フロンティアセッターちゃんだって、あのロボット姿を現してから愛おしさがじわじわ湧き上がったんだから。

でまあ、『楽園追放』の主題のひとつに肉体の有無というものがあった。ディーヴァとリアルワールドの対比構造。ロックは骨で聞くんだよ。アンジェラちゃんがリアルワールドに来てから、その辺のテーマと絡めながら、彼女が肉体を得たことを立て続けに表現する。それは、彼女が我々と同じ身体を持っていると錯覚させることとイコール。

強がってずっと寝ないでいたら目の下にくまが出来る。これ、すごくかわいい。

このかわいさって、単純にキャラクターの魅力でもあるし、くぎゅの魅力でもあるんだけど、その背後には身体性のマジックがある。彼女と我々は何かを共有できているのかもしれないという錯覚がある。

その後、調子に乗ってチンピラと戦ってピンチになる。これは、鑑賞者が予測できた展開。つまり、我々が彼女の存在を錯覚して、特性を認識して、将来を予測して、その通りになっている。こういう「キャラクターの動きや将来の展開を予測できる/理解できる」という感覚は、彼女が我々に理解可能なものという錯覚を与える。

で、そういう状態(我々は彼女と何かを共有しているかもしれないし、彼女のことを理解できるかもしれないという錯覚状態)になって、アンジェラちゃんの心の内にある「ディーヴァに認められなければならない」「功績を挙げなければならない」という想いを知らされる。

つまり、身体の反対に位置する社会性が彼女のアイデンティティであることを知らされる。

このへんが人間社会に疲れた鑑賞者の心に響いたかどうかは、実はそれほど問題でないと思うのでスキップするけど、重要なのは彼女が身体的な欲求を有していなかったという点*1

つまり、ここでアンジェラちゃんと鑑賞者は一瞬切り離されてしまう。鑑賞者は彼女となにも共有できていないのかもしれない、という恐怖。

なんだけど、ここからが怒涛のアピールタイム。おかゆを食べるの、超かわいい。あれってつまり、彼女は身体を有していて、身体が食事を欲しているということ。つまり「こちら側」であると感じられる瞬間なんだと思う。それから、あの身体が単なる情報の入れ物ということはなく、寝なかったり食べなかったりしたら体調崩すし、食欲っていう身体由来の欲求も備わっている、普通の人間の身体であることの証明でもある*2

だから安心できるし、別のシーンでもの食べたり、なんか入れられて味変わったのに驚いているのとか、すごいかわいい。

それから、彼女がディンゴに対して「ディーヴァの人に恐怖を感じないのか」と問いかけたのもすごくいい。あれって完全に彼女が恐怖を感じているからこその質問なんだけど、じゃあ恐怖ってなんだって考えると、彼女が身体とかいう得体のしれないものを持て余しているからこその恐怖なんだろうと思う。こういうの、すごくかわいい。

で、最後が「仁義」なんだけど、あれもうまい。彼女は身体を得たことで新しい価値観をたくさん手に入れたんだけど、じゃあディーヴァにおける承認欲求はどうなったんだっけ?って考えると、それと決別したことを明確に表すのが「仁義」なんだと思う。仁義って、要するに理屈じゃない人と人との関係性(社会性の一部)だから。

仁義のために叫びながら体張って戦う姿は、社会性までアップデートされた、まさにすべてが新しくなったアンジェラちゃんで、それは完全に鑑賞者と多くのものを共有できる「人間」であると言える。

SFの文脈で言うと、こういう人格と身体の関係に言及する作品は多い(と思う)。『楽園追放』の場合は、そういうSF的なテーマ・世界観のすべてがアンジェラちゃんのかわいさに注ぎ込まれていると言える。

まだまだ書き出しきれてない感じがするけど、今ならありとあらゆる要素を「それはアンジェラちゃんのかわいさの演出のためにあります」って言える自信ある。

こんな走り書きが『楽園追放』の全てだと言うつもりはないので、あくまでこの記事を一言で表すなら、なんだけど、「ヒロインが身体を手に入れて苦労しながら新しい価値観を手に入れて、その価値観とやらは鑑賞者が強く共有・共感できる類のものであったから、ヒロインがとてもかわいい」っていうことだと思う。

だから、すごい鋭かったり、独特な感性でも持っていない限りは、感想は「かわいい」しか出てこないと思う。

*1:より厳密に言うと、鑑賞者が共有できるレベルの身体的な欲求を有していなかった

*2:あと、身体由来の欲求ってちょっと性的で、そのへんのアピール力も高い