『アルペジオ』の原作厨

アニメ『蒼き鋼のアルペジオ』は確かに素晴らしかった。

霧のメンタルモデルにフォーカスして、人間とは「愛」と「身体」であるというシンプルな回答を導いた名アニメだと思う。

最後、身体的な接触によってイオナとコンゴウが「愛」を共有した場面なんて、頭スコーンて叩かれたみたいにすっきりしたし、それが唯一の手段であることをイオナが確信していたのは、その前の400と402に沈められた経験から来てるし、握手だって群像とタカオがしてたのを見ての判断だろうし、そういう意味ですごく話として上手くできている。

あとは、やっぱりタカオとヒュウガ。愛を叫んでの献身は超かっこいいし美しい。


それはそうなんだけど!

原作大好き人間としてはやっぱり物足りない気持ちが残る。人間側の背景があまりに薄い。霧は生まれたばかりの存在で、真っさらなのは分かるし、彼女らが「概念」を手に入れる様子を描きたかったというのも分かる。

でも、人間ひとりひとりと、人間社会には歴史があって、それまでの積み重ねがあって、そういう意味では人間は「愛」と「身体」なんていう「基本ユニット」だけで生きていける生き物じゃない。

原作からはそういう所を強く感じて、そういう意味で人間と霧のメンタルモデルとの比較がより鮮やかで面白い。

アニメでは人間なんて群像と蒔絵以外いらなかったんじゃないかとすら思う。物語の中で全く機能しなかったもの。401クルーも海軍も陸軍も。


もちろん、それをアニメでやるのは重たい。だから「霧のメンタルモデルにフォーカスして」いるのだし、だからこそこれだけ描けた。それは分かってるつもり。


な・ん・だ・け・ど!

やっぱり惜しいなあと思ってしまう。

ただ、実は原作大好きでもここまで惜しいと思ったことはなくて、やっぱりアニメの出来がよかったからそれだけに惜しいということなのかな、とも思う。

というちょっと長めのつぶやき。