『のんのんびより』と『IS2』

こんばんは、ぶっちゃけ餌の味がイマイチ分からなかった豚です。

確かに、2期のISバトルは迫力に欠ける(アクションシーンの数でも質でも劣る)とは感じたし、1期で効果的だった新キャラ投入というテコ入れも(シャル&ラウラの登場タイミングは完璧だった)今回は簪オンリー。総じてスパイス不足で、かつ、鮮度のない餌だったのは確かかもしれないけど、「馬鹿にしている」と言われるほどひどい差があるようには感じられませんでした。

そんなことよりもISの本領である(と僕は思っている)、おいしいシチュエーションが連鎖して女性キャラクターがひっきりなしに画面に現れては消えるという畳かけは2期でも健在で、その点において僕は「餌の味」の違いが分からないのです。

わりと本気で2期は1期に引けを取らないと考えてます(餌として)。*1

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一方で、すこぶる評判が良かったのが『のんのんびより』。

潤沢な「間」と「風景」という点に関して、まさに『のんのん』の本質はそこにあると思います。

ただ、もうひとつレイヤーを引き上げて「日常系」とかいう言葉を引っ張り出してみると、その本質は「視聴者を作品世界の日常に招待すること」にあります。その役割を担って機能したのが「間」であり「風景」であった(すなわち、カメラを作品世界の内部に同居させるのに効果的であるということ)のだけど、これは『けいおん!』に関して既に議論されている*2ことなので、ここでは省きます。

僕らはあののんびりとした田舎に「招待」されたのであり、そこでは多くの視聴者の生活の中にない田舎の生活*3という「驚き」と「癒し」が提供されていたと考えています。

日常系というのは「コミュニケーション系」のことであり、それは作中キャラクター間の会話に留まらず、アニメ作品と視聴者の「対話」も含んでいます。すなわち、僕ら視聴者が知らない世界、知らない考え方、見られない景色、感じられない空気を提供できることが、作品と視聴者のコミュニケーションの必須条件であり、『のんのん』の場合、「間」および「風景」と、それと響き合うキャラクターが、我々視聴者にとっての「新鮮さ」(そこから派生する「癒し」)を演出していた、というのが僕の見立てです。

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ISの話に戻ります。

なぜIS2が「まずい餌」に成り下がってしまったのか考えると、やはり「新鮮さ」の欠落だとは思うんですが、それは視聴者がIS的な展開・構成に飽きたという意味でなく、おそらく気付いてしまったんだと考えています。

何に気付いたかというと、ISの方法論はネット上でコンテンツを消費するのに似ているということです。

TwitterでもPixivでもブログでもなんでもいいんですけど、可愛い女の子の絵なんてネット上にたくさん存在していて、僕らはそれを脈絡無く閲覧することができる。IS1期の「シチュエーションの連鎖」は、きっと構造としてコンテンツのブラウジングに似ていて、それで視聴者の脳ミソはいい具合に溶かされちゃっていたんだと。*4

ネット上のコンテンツ消費に似た形で細分化されたシチュエーションが連続的に提供されるというのはテレビアニメとしては革新的で、だから1期は良かった/けれど、時間をおいてみるとそれがネット上のコンテンツ消費と同じであることに(潜在的に)気付いてしまって、だから(バトルアクションや新キャラで劣る)2期はダメだ。

というような理屈なんじゃないかと考えています。

*1:更識姉妹好きですし。

*2:いくつも素晴らしい記事がありますが、すぐに出てこなかったのでリンクは省略。

*3:「季節」を単位にエピソードが構築されているのも本作の素晴らしいところです。

*4:さらに、ISバトルのスピード感もなんか色々分泌させてくれてた。