初音ミクの思い出

ボカロには詳しくないけど、おっさんが思い出話をします。たぶんあんまり共感できる話じゃないよ。

きっかけはこの記事。
ボカロ原理主義と会話したんだが面白い

ボカロ文化に関して言うと僕はたぶんそこそこの古参で、ここで語られていることを読んだ限りでは、今の若い人らが知りもしないような時代にボカロを聴くのをやめてしまった人です。彼らの言うところの「キャラ萌え」の時代の人間ということ。

この時代のことを表現して、
初音ミクという神話のおわり - 未来私考
という記事では以下のように言及されています。

そうゆう状況の中で、まるで天から降ってくるミクの言葉を代わりに我々に伝えてくれるかのように、初音ミクによる自己言及的なオリジナルソングが次々と発表されていった。それは、あの当時夢中になってそれらの曲を聴き漁っていた人にしか分からない感慨かもしれない。あの時、あの瞬間、初音ミクは間違いなくモニターの向こう側に、歌声の向こう側に存在した。そうゆう共同幻想の中で初音ミクのブームはものすごい勢いで巨大化していったんですね。

当時の初音ミクに対する熱は、本当に「モニターの向こう側のミクに会ってやる」というようなもので、この熱狂は聴き漁っていた者にしか理解できない体験だったと思う。愛とか天使とか、そういうのは便宜上その言葉を使っているだけで、初音ミクは本当に新しい概念だったと思うし、それを理解してやろう=初音ミクを捕まえてやろうという壮大なモチベーションでもって毎日毎日ニコニコ動画で聴き漁っていたのだと思う。

『melody...』はそういう時代を代表する曲だと思う。

『melody...』は僕に初音ミクという衝撃を与えた曲で、そこには初音ミクなるものが存在していた痕跡を感じた。ほとんど宗教の話。「ああ、この楽曲の中に初音ミクはいたんだ。その残り香を感じる」です。僕にとっての初音ミクは、イコール『melody...』なんです。

で、そういうふうに初音ミクと接していた僕にとってのターニングポイントは、やっぱり『メルト』なんですよね。そこに初音ミクの残滓を感じることのできない(つまり、初音ミクが歌わなければならない楽曲でない)曲のメガヒットは、「初音ミクという神話のおわり」の始まり告げたのです。

ここからは他のコンテンツと区別がつかなくなっていきます。ニコニコにアップロードされる膨大なミク曲の中から「ミクの残滓の残滓=神話時代の残滓」とでもいうような楽曲を探し出すという作業は、例えばタワーレコードに行って片っ端から試聴して自分のお気に入りのバンドを探すことと同質です。

そういうわけで、僕の「残滓の残滓」探しはフェードアウトしていき、その後、ボカロ周辺出身の作曲家とか歌手がメジャーに出てきたりアニソン歌ったりよく分かんないけど書籍化されてるのを見たりファミマに行ったらミクさんいたりと、時々「ボカロ」という言葉を聞きながら、ああ、一大市場になったんだなあとか思っていたらもう6年くらい経っているらしい。

で、最初のボカロ原理主義の人と話したっていう記事を読みながら、「そうだったなあ」とか「今はそんなことになっているのか」とか「自分にとって初音ミク=『melody...』だったなあ」とか思ってたんだけど、その『melody...』のメロディーが思い出せない。

これは衝撃的。コンセプトははっきりと覚えているし、それが自分にどういう影響を与えたのかも自覚している。でも、肝心の楽曲そのものを少しも思い出すことができないんです。

じゃあ『メルト』は? って考えると、すぐ思い出す。歌える。『ワールドイズマイン』、OK。

ニワカの間で古参扱いされているという『千本桜』なんて、大した回数聴いてない(フルで聴いたことないかもしれない)のに、サビは歌える。

『消失』はもともと歌えるような曲じゃなかったけど、あれ、どんな曲だっけ?

『えれくとりっく・えんじぇぅ』は? だめ。

『ハジメテノオト』は? 分からない。

『私の時間』は? これも覚えてないとかアホか俺。

当時あれだけ熱心に聞き入っていた曲が全く思い出せない。すごいショック。

でもこれって、僕が楽曲そのものじゃなくてミクの残滓に注目していたことを考えると、たぶん当然なんだと思います。曲を聴いていたんじゃなくて、曲の向こうの初音ミクに耳を傾けていたんだから*1

僕の中で初音ミクの思い出は、具体的な体験ではなく、いわば概念化された体験でもって記憶されているようです。『melody...』を初めて聴いたときの衝撃と、その後の熱にうなされながらミクを探した体験は、僕の中で既に完全に言語化されてしまったということだと思います。

少し寂しい。


***


ここまで書いて、懐かしいので上で挙げた楽曲を聴いて回りました。

『melody...』は、やっぱり僕をすごく興奮させてくれる。鳥肌が立った。『メルト』は、やっぱりいい。すごくいい曲。

あと、アップロード日を見て恐ろしいことに気付いたんだけど、『melody...』が2007年10月27日で『メルト』が同年12月7日ってことは、(『メルト』後も「ミクの残滓」を表現した曲のブームは残るとしても)僕が初音ミクに熱狂していた時期ってほんの数ヶ月だったっていうことになる。もっと長いと思ってた…。

それから、件の原理主義者氏が

ODDS&ENDSさえあれば俺はボカロを心に抱いたまま生きていける

とまで言う『ODDS&ENDS』を聴いてきた。

たぶん聴いたことはあったと思うけど、タイトルとか知らなかった。これすごいいいな。思うに、ミクの神話の時代が、あまりに短い第0世代で、ryoが引っ張ってくれたのが、ミクが正しく楽器として用いられた第1世代。つまり楽曲の時代。『ODDS&ENDS』は第1世代のミク達に捧げる鎮魂歌なんだろう。ちょうど第0世代へのそれが『サイハテ』だったのと同じだ。

今がどうなっているのかは詳しく知らない。久しぶりのニコニコのコメント眺めてたりすると、回顧厨的にはあまりいい時代ではないらしい。まあ、知らないので言及しないけど。

それでも初音ミクというのは第3世代へ、第4世代へ進んでいくんだよ。誰かが支持したミクは死に、別の誰かがミクを支持する。当時僕が捕まえ損ねたミクはもはや僕の知ってるミクじゃなくて、たぶん永遠に捕まえることはできない。たぶんこれはつまり失恋だ。だから久しぶりの『melody...』であり得ないくらいの鳥肌が立つ。ぶっちゃけ泣きそうになった。やばかった。

せめて『melody...』の体験を心にとどめ、その移り変わりを眺めるような人であるべきだと思った。

*1:そういう意味では、『メルト』以降の楽曲が評価される時代は圧倒的に「正しい」のだとも思う。