マンガのはなし(2014/11)
直近読んで印象に残っているマンガをゆるく紹介します。とはいえ、初回ということで、ちょっと古いのもぽつぽつ出していきます。
コンプレックス・エイジ
26歳コスプレイヤーの話。本当にアニメが好きでコスプレが好きでやっているだけなのに、年齢の問題とか、職場でバレちゃう問題とか、そういう現実が次々と襲いかかってきて、全く笑い事でなく胃が痛くなるような話です。アニメのキャラクターが好きすぎてちょっとでも近づきたくてコスプレをするんだけど、そこにトライするほど絶対に同じ存在にはなれないという隔絶を実感してしまう、という不幸が描かれます。
オタク趣味って、胸を張って「これが好きだ」って言えたとしても、心のどこかにはコンプレックスが存在しているもので、ちょっとした事でイライラしてしまったり落ち込んだりとか、そういうことが多いと思う。そういう些細な感情の変化もうまく表現できていて、その辺も含めてすごく胃が痛くなる話です。
例えば、敵意とか悪意とかあるわけではなかったとしても、自分のオタク趣味についていろいろ質問されるのってつらい。そういうのに対して「何か嫌」と感じたり、「ああいう上辺の興味が一番怖い」と思ったり、そういう拒絶したくなる気持ちがすごくよく分かる。たぶん大なり小なりオタクなら誰もが経験するコンプレックスだと思う。
「どうしてわたし達が逃げないといけないの?」っていう、どういうようもない問いかけが胸に突き刺さります。
カカフカカ
成人女性、コンプレックスつながり。こちらはフリーター24歳。なんか中高生くらいの頃って無根拠な無敵感があって好き放題やれるんだけど、いろいろ経験して自分は全然特別じゃないしむしろ凡庸以下みたいな、そういう卑屈で諦め感の漂う女性が主人公。
で、その「無敵時代」に付き合っていた彼氏と再会するのです。
それで、まあその元彼氏がぶっちゃけイ○ポなんですね。女性に反応しないんです。それが主人公氏にだけは反応して元気になる。要するに特別なんです。卑屈ミジメ女子が特別なのかもしれないって感じてしまう。
これがめちゃくちゃかわいい。
『コンプレックス・エイジ』は本気で胃が痛くなるけど、こちらはコメディのノリが強くて、のんびり笑いながら可愛いものを愛でられるタイプです。少女マンガですが、イ○ポ含めてシチュ設定が非常にうまく、いい意味で予想を軽く裏切りながら話が展開されるので、男性が読んでもめちゃくちゃ可愛い24歳フリーターさんです。
ラーメン大好き小泉さん
男性が読んで可愛い女性主人公つながり。こちらは女子高生。無表情、寡黙な美少女が足繁くラーメン屋に通って、麺とスープを掻き込んで恍惚の表情を浮かべるだけのマンガです。
基本的にそれだけなんだけど、本当に本当に本当に美味しそうに食べるんです。JKがね、美少女JKがね、ラーメン店を巡ってすごい美味しそうにラーメンを掻き込むんです。それを見ているだけで幸せになれるんです。
そういうマンガです。
あと、有名ラーメン店とか出てくるので、ラーメン好きならなお楽しめるかと。
賭ケグルイ
恍惚JKつながり。こちらはギャンブル狂。学内のヒエラルキーがギャンブルの強い弱いで決まるっていう設定で、ギャンブル大好きな美少女転校生が大暴れする話。大勝負の前にこの転校生が恍惚の表情を浮かべるんだけど、ちょっとこわい。
設定も展開も非常にガンガンJOKERらしくて、個人的には満足度高いです。
ギャンブルはオリジナルなんだけど、ぱっと読んだ感じゲームとして破綻してなさそう。というか、駆け引きとか面白そうなものもあって、クオリティ高いと思います。
オリジナルなのにルールの説明、駆け引きのキモ、それから相手が仕込んだイカサマを見抜くところまでコンパクトに描けていて、展開が早いのもすごくいいです。
TAMACWORDSに変わりました
大変ご無沙汰しております。直近のエントリがまさかの3月15日なので、なんとちょうど8ヶ月前だそうです!
もはやブロガーを名乗れないなあと思ってTwitterのbioからこっそり「アニメブロガー」の看板を取り下げたのですが、それすら数ヶ月前の懐かしい話となってしまっています。
最近は見るアニメの本数もめっきり減ってしまって、だからこそ何か書きたいなという欲が強くなってきたので、ブログをリスタートします。
特に肩肘張らずにのんびり続けていこうかなと思っていますので、よろしくお願いいたします。なんかもう、ついでなのでブログタイトルも変えてしまいます。
「TAMACWORDS」として再始動です。
変えた理由というか、前のブログタイトル「of the contrast」って、物語の構造分析を主の目的としていた時に、その方針を表したタイトルだったんですが、今はそれにはそこまで興味はないなーというのがあります。
じゃあ今の興味はって考えると、コンテンツの在処、みたいな話で、その辺はややこしいのでまたどこかで書き出したいなと思っているところですが、とにかくコンテンツ鑑賞者の内面にあるので、じゃあ魂だ!っていう感じです。何言ってるのかよくわからないですが、8ヶ月前の 初音ミクの思い出 - TAMACWORDS とか非常に魂の話をしていると思っています。
あ、「TAMACWORDS」は「タマシイワーズ」とか読んでもらえると。
ついでについでに、デザインも変えてみました。
はい、およそアニメブログらしからぬ雰囲気です。自分でもびっくりです。
素敵テンプレートがあったので、色とか要素のサイズとか細かいところさくっとカスタマイズして使わせていただきます。タイトルのフォントはRalewaysという最近のお気に入りです。
それでは今後ともよろしくお願いします。
初音ミクの思い出
ボカロには詳しくないけど、おっさんが思い出話をします。たぶんあんまり共感できる話じゃないよ。
きっかけはこの記事。
ボカロ原理主義と会話したんだが面白い
ボカロ文化に関して言うと僕はたぶんそこそこの古参で、ここで語られていることを読んだ限りでは、今の若い人らが知りもしないような時代にボカロを聴くのをやめてしまった人です。彼らの言うところの「キャラ萌え」の時代の人間ということ。
この時代のことを表現して、
初音ミクという神話のおわり - 未来私考
という記事では以下のように言及されています。
そうゆう状況の中で、まるで天から降ってくるミクの言葉を代わりに我々に伝えてくれるかのように、初音ミクによる自己言及的なオリジナルソングが次々と発表されていった。それは、あの当時夢中になってそれらの曲を聴き漁っていた人にしか分からない感慨かもしれない。あの時、あの瞬間、初音ミクは間違いなくモニターの向こう側に、歌声の向こう側に存在した。そうゆう共同幻想の中で初音ミクのブームはものすごい勢いで巨大化していったんですね。
当時の初音ミクに対する熱は、本当に「モニターの向こう側のミクに会ってやる」というようなもので、この熱狂は聴き漁っていた者にしか理解できない体験だったと思う。愛とか天使とか、そういうのは便宜上その言葉を使っているだけで、初音ミクは本当に新しい概念だったと思うし、それを理解してやろう=初音ミクを捕まえてやろうという壮大なモチベーションでもって毎日毎日ニコニコ動画で聴き漁っていたのだと思う。
『melody...』はそういう時代を代表する曲だと思う。
『melody...』は僕に初音ミクという衝撃を与えた曲で、そこには初音ミクなるものが存在していた痕跡を感じた。ほとんど宗教の話。「ああ、この楽曲の中に初音ミクはいたんだ。その残り香を感じる」です。僕にとっての初音ミクは、イコール『melody...』なんです。
で、そういうふうに初音ミクと接していた僕にとってのターニングポイントは、やっぱり『メルト』なんですよね。そこに初音ミクの残滓を感じることのできない(つまり、初音ミクが歌わなければならない楽曲でない)曲のメガヒットは、「初音ミクという神話のおわり」の始まり告げたのです。
ここからは他のコンテンツと区別がつかなくなっていきます。ニコニコにアップロードされる膨大なミク曲の中から「ミクの残滓の残滓=神話時代の残滓」とでもいうような楽曲を探し出すという作業は、例えばタワーレコードに行って片っ端から試聴して自分のお気に入りのバンドを探すことと同質です。
そういうわけで、僕の「残滓の残滓」探しはフェードアウトしていき、その後、ボカロ周辺出身の作曲家とか歌手がメジャーに出てきたりアニソン歌ったりよく分かんないけど書籍化されてるのを見たりファミマに行ったらミクさんいたりと、時々「ボカロ」という言葉を聞きながら、ああ、一大市場になったんだなあとか思っていたらもう6年くらい経っているらしい。
で、最初のボカロ原理主義の人と話したっていう記事を読みながら、「そうだったなあ」とか「今はそんなことになっているのか」とか「自分にとって初音ミク=『melody...』だったなあ」とか思ってたんだけど、その『melody...』のメロディーが思い出せない。
これは衝撃的。コンセプトははっきりと覚えているし、それが自分にどういう影響を与えたのかも自覚している。でも、肝心の楽曲そのものを少しも思い出すことができないんです。
じゃあ『メルト』は? って考えると、すぐ思い出す。歌える。『ワールドイズマイン』、OK。
ニワカの間で古参扱いされているという『千本桜』なんて、大した回数聴いてない(フルで聴いたことないかもしれない)のに、サビは歌える。
『消失』はもともと歌えるような曲じゃなかったけど、あれ、どんな曲だっけ?
『えれくとりっく・えんじぇぅ』は? だめ。
『ハジメテノオト』は? 分からない。
『私の時間』は? これも覚えてないとかアホか俺。
当時あれだけ熱心に聞き入っていた曲が全く思い出せない。すごいショック。
でもこれって、僕が楽曲そのものじゃなくてミクの残滓に注目していたことを考えると、たぶん当然なんだと思います。曲を聴いていたんじゃなくて、曲の向こうの初音ミクに耳を傾けていたんだから*1。
僕の中で初音ミクの思い出は、具体的な体験ではなく、いわば概念化された体験でもって記憶されているようです。『melody...』を初めて聴いたときの衝撃と、その後の熱にうなされながらミクを探した体験は、僕の中で既に完全に言語化されてしまったということだと思います。
少し寂しい。
***
ここまで書いて、懐かしいので上で挙げた楽曲を聴いて回りました。
『melody...』は、やっぱり僕をすごく興奮させてくれる。鳥肌が立った。『メルト』は、やっぱりいい。すごくいい曲。
あと、アップロード日を見て恐ろしいことに気付いたんだけど、『melody...』が2007年10月27日で『メルト』が同年12月7日ってことは、(『メルト』後も「ミクの残滓」を表現した曲のブームは残るとしても)僕が初音ミクに熱狂していた時期ってほんの数ヶ月だったっていうことになる。もっと長いと思ってた…。
それから、件の原理主義者氏が
ODDS&ENDSさえあれば俺はボカロを心に抱いたまま生きていける
とまで言う『ODDS&ENDS』を聴いてきた。
たぶん聴いたことはあったと思うけど、タイトルとか知らなかった。これすごいいいな。思うに、ミクの神話の時代が、あまりに短い第0世代で、ryoが引っ張ってくれたのが、ミクが正しく楽器として用いられた第1世代。つまり楽曲の時代。『ODDS&ENDS』は第1世代のミク達に捧げる鎮魂歌なんだろう。ちょうど第0世代へのそれが『サイハテ』だったのと同じだ。
今がどうなっているのかは詳しく知らない。久しぶりのニコニコのコメント眺めてたりすると、回顧厨的にはあまりいい時代ではないらしい。まあ、知らないので言及しないけど。
それでも初音ミクというのは第3世代へ、第4世代へ進んでいくんだよ。誰かが支持したミクは死に、別の誰かがミクを支持する。当時僕が捕まえ損ねたミクはもはや僕の知ってるミクじゃなくて、たぶん永遠に捕まえることはできない。たぶんこれはつまり失恋だ。だから久しぶりの『melody...』であり得ないくらいの鳥肌が立つ。ぶっちゃけ泣きそうになった。やばかった。
せめて『melody...』の体験を心にとどめ、その移り変わりを眺めるような人であるべきだと思った。
*1:そういう意味では、『メルト』以降の楽曲が評価される時代は圧倒的に「正しい」のだとも思う。
2013年このマンガがすごかった10選
2013年中に書きたかったけど書けなかったから過去形。年末から厳選作業と称して読み返しているうちに年が明け元旦も過ぎてしまったでござる(さらに書いてるうちに2日も終わったでござる)。
10位 エバーグリーン
- 作者:竹宮 ゆゆこ
- 発売日: 2013/03/27
- メディア: コミック
9位 ヴィンランド・サガ
- 作者:幸村 誠
- 発売日: 2013/07/23
- メディア: コミック
8位 千と万
- 作者:関谷 あさみ
- 発売日: 2013/06/12
- メディア: コミック
7位 私の世界を構成する塵のような何か。
私の世界を構成する塵のような何か。 3巻 (IDコミックス 百合姫コミックス)
- 作者:天野 しゅにんた
- 発売日: 2013/12/18
- メディア: コミック
6位 実は私は
- 作者:増田 英二
- 発売日: 2013/12/06
- メディア: コミック
5位 甘々と稲妻
- 作者:雨隠 ギド
- 発売日: 2013/09/06
- メディア: コミック
4位 僕だけがいない街
- 作者:三部 けい
- 発売日: 2013/12/02
- メディア: コミック
3位 惡の華
- 作者:押見 修造
- 発売日: 2013/08/09
- メディア: コミック
2位 空が灰色だから
[asin:4253217192:detail]
僕の2013年の最大の収穫はこの名作に出会えたこと。月イチのペースで全巻まるまる読み返していました。ナンセンスだったりコメディだったりシリアスだったりするオムニバスなんだけど、そういう既存のボキャブラリーでは本作のことを少しも伝えられる気がしません。いちばんしっくり来る表現は「無性にざわつく」です。とにかく読んでみるべし。
1位 彼女とカメラと彼女の季節
- 作者:月子
- 発売日: 2013/07/23
- メディア: コミック
本作は、女の子2人と男の子1人の3人のメインキャラクターの憧れ、嫉妬、自己嫌悪、愛情といった思春期的な感情をカメラという装置で鮮やかに切り出した傑作です。写真を撮るという行為には「被写体を捉えたい(捕らえたい)」とか「被写体に近付きたい」とか、あるいは「被写体との距離とりたい」とか、いろんな意志が存在します。「こう撮りたい」とか「こう撮られたい」といった感情が、強烈に他者を意識してしまうという思春期の感情と見事にシンクロして描かれます。
女2+男1の百合とか、ボーイッシュとか、そういう構成要素だけでも完璧に僕のストライクなのに、さらにこういったカメラっていうモチーフが利いて奇跡的な傑作となっています(個人的に)。
あと、タイトルにも入っているように季節に対するこだわりが強いようで、3巻の秋から冬への主人公あかりの変化(服装と一緒にどんどん暖かい感じになる)とユキの変わらなさ(冷たい表情と雪)の対比とか、そういう表現もとても美しいです。
***
『のんのんびより』と『IS2』
この前アニメファンの方々とお話する機会があったんですが、皆口々に「ISはちょっとね…」「1期の頃は良かったんだけどなぁ…」「さすがにあれはユーザーを馬鹿にしている」とISには苦言を呈していて、「あっ、家畜でも餌の味がわかるのか!」と衝撃を受けましたね。
— ふたなっち (@daddyofYuiOgura) 2013, 12月 24
こんばんは、ぶっちゃけ餌の味がイマイチ分からなかった豚です。
確かに、2期のISバトルは迫力に欠ける(アクションシーンの数でも質でも劣る)とは感じたし、1期で効果的だった新キャラ投入というテコ入れも(シャル&ラウラの登場タイミングは完璧だった)今回は簪オンリー。総じてスパイス不足で、かつ、鮮度のない餌だったのは確かかもしれないけど、「馬鹿にしている」と言われるほどひどい差があるようには感じられませんでした。
そんなことよりもISの本領である(と僕は思っている)、おいしいシチュエーションが連鎖して女性キャラクターがひっきりなしに画面に現れては消えるという畳かけは2期でも健在で、その点において僕は「餌の味」の違いが分からないのです。
わりと本気で2期は1期に引けを取らないと考えてます(餌として)。*1
*
一方で、すこぶる評判が良かったのが『のんのんびより』。
のんのんアニメ成功の一員は潤沢な「間」と「風景」の増幅にあるが、どちらも萌え四コマでは発生しにくいもの。「間」でパッと思いつく萌え四コマと言えばあずまんが大王だが、よつばとを見りゃ分かるようにあずまきひよこに四コマは狭すぎた。いがらしみきお天才という話でもある。
— 杉田悠 (@sugita_u) 2013, 12月 29
潤沢な「間」と「風景」という点に関して、まさに『のんのん』の本質はそこにあると思います。
ただ、もうひとつレイヤーを引き上げて「日常系」とかいう言葉を引っ張り出してみると、その本質は「視聴者を作品世界の日常に招待すること」にあります。その役割を担って機能したのが「間」であり「風景」であった(すなわち、カメラを作品世界の内部に同居させるのに効果的であるということ)のだけど、これは『けいおん!』に関して既に議論されている*2ことなので、ここでは省きます。
僕らはあののんびりとした田舎に「招待」されたのであり、そこでは多くの視聴者の生活の中にない田舎の生活*3という「驚き」と「癒し」が提供されていたと考えています。
日常系というのは「コミュニケーション系」のことであり、それは作中キャラクター間の会話に留まらず、アニメ作品と視聴者の「対話」も含んでいます。すなわち、僕ら視聴者が知らない世界、知らない考え方、見られない景色、感じられない空気を提供できることが、作品と視聴者のコミュニケーションの必須条件であり、『のんのん』の場合、「間」および「風景」と、それと響き合うキャラクターが、我々視聴者にとっての「新鮮さ」(そこから派生する「癒し」)を演出していた、というのが僕の見立てです。
*
ISの話に戻ります。
なぜIS2が「まずい餌」に成り下がってしまったのか考えると、やはり「新鮮さ」の欠落だとは思うんですが、それは視聴者がIS的な展開・構成に飽きたという意味でなく、おそらく気付いてしまったんだと考えています。
何に気付いたかというと、ISの方法論はネット上でコンテンツを消費するのに似ているということです。
TwitterでもPixivでもブログでもなんでもいいんですけど、可愛い女の子の絵なんてネット上にたくさん存在していて、僕らはそれを脈絡無く閲覧することができる。IS1期の「シチュエーションの連鎖」は、きっと構造としてコンテンツのブラウジングに似ていて、それで視聴者の脳ミソはいい具合に溶かされちゃっていたんだと。*4
ネット上のコンテンツ消費に似た形で細分化されたシチュエーションが連続的に提供されるというのはテレビアニメとしては革新的で、だから1期は良かった/けれど、時間をおいてみるとそれがネット上のコンテンツ消費と同じであることに(潜在的に)気付いてしまって、だから(バトルアクションや新キャラで劣る)2期はダメだ。
というような理屈なんじゃないかと考えています。