アーススターの話 ― もしかしたら愛の話かもしれない
最近、コミックアーススターの、アニメ化ありきのプロモーション手段に対する批判とか、そういうものを目にします。
ことのはじめは、TVアニメ『てーきゅう』(ごめんなさい、見ていません)の放送前に、いろんなところでいろんな人が原作1巻発売と同時にアニメ化発表という圧倒的な原作不足に対する不安(あるいは不満)を述べたことでしょう。
そのときの僕の感覚は「いよいよ原作が尽きたのか」という方向に向いていたのですが、そうではなく、アーススターがそもそもアニメ化をプロジェクトの一環としてマンガ連載を企画しているらしいということに気付いたのは、恥ずかしいながら今年に入ってからのことでした。
コミックアーススターは「漫画から始まる、メディアミックスコミック誌」というのがキャッチフレーズのようです。他のマンガ(や他の原作メディア)がアニメをある種の集大成と見なしているのとは異なり、必ずしも高いコストをかけないアニメ化でファンを獲得&コミックに箔を付けようという売り出し方なのでしょう。
そのやり口がモラル的にどうとか、ビジネスとして賢いとか、そういうのはちょっと判断に困るところではあるけれど、これだけ既存他誌の存在するマンガ業界に参入するための戦略としては理にかなっており、合理的であると判断できます。
声優グラビアについても、これまた賛否は分かれるものの、はじめからインターネットラジオやアニメ化を考えているのなら極めて合理的だし、最近の声優の実際が声や演技だけでなく外見やトークを含めたキャラクターとして消費されるコンテンツであるということを鑑みても自然な起用です。ちなみに今月のグラビアは、これまでの声優にはなかなかいなかった女優顔タイプの内田真礼ちゃんだそうです。ほら、ちょっと興味持っちゃったじゃないですか。
やり方としては間違っていないかもしれない。でも、アーススターに対してなんだか妙な違和感を感じる。
さて、新年明けまして、1月アニメも始まっております。関東圏はどうか知りませんが、僕の住む関西圏では今期アニメ1号が『ヤマノススメ』&『まんがーる!』でした。共にアーススターです。
このうち『ヤマノススメ』に対して批判を行っているブログ記事があります。
どうも、このアーススターのやり口が、得をするのが出版社だけ(むしろ原作者だけ?)であることに対して、半ばアレルギー反応的に不快感を感じているように読めます。
上記エントリに関して、僕の率直な反応は「あ、その拒絶反応は『まんがーる!』じゃなくて『ヤマノススメ』に向くんだ。意外だなあ」っていうところですが*1、内容は極めて重要で、これからのアニメ界にとっては何をアニメ化するかは大切だよなってことを(今更ではありますが)再認識させられます。
が、実はこのエントリ自体が本題ではありません。それに対する以下のエントリが、本エントリのモチベーションです。
違うだろ!『ヤマノススメ』なんていう半端に受けそうなヌルいアニメじゃなく、『てーきゅう』っていう、ほとんど監督一人で作っていろいろやり過ぎで完全に誰得アニメを批判するべきだろ!
基本的にはそういう風に読めます。ですが、非常に難しいことに、くだんのエントリを書いた str017 さんは、自らの『てーきゅう』愛を高らかに叫んだ後、以下のように説明しています。
えっ? 「さっきまで散々批判するべきはヤマノススメではなくてーきゅうみたいなこと言ってたじゃん」って? 何を言ってるんですか、これは愛です、愛故のすべき論です。つまりは「私は心を奪われた!この気持ちまさしく愛だ!!」ってことですよ!!
この歪んだ愛情の全てを理解することは困難で、かつ、そんなに理解したくもないのでこれ以上は言及しませんが……
そうなんです!これは愛の話なのかもしれないのです!
だからね、要するに僕らはアニメを愛していて、だからアーススターの冷徹なビジネス指向が許せない*2。
愛すべきメディアファクトリーの話をします。メディアファクトリーは、需要がたった1万人規模であっても、そのコアなファンを満足させるコンテンツを提供すれば、そのターゲット1万人が市場として充分に機能することを主張し、それを体現してきた出版社です。
メディアファクトリーが提供するコンテンツを面白いと思う消費者たちと、一緒に市場を拓いたといってもいいかもしれない。その中心にあるのは、メディアファクトリーがメディアファクトリーのマンガを提供し続け、消費者がそれを求め続けるという信頼関係です。
コミュニティへの帰属意識。あるいはコンテンツへの執着。言い換えると愛みたいなものです。
対して、
原作PRを目的とした低コストのアニメ化。流行の声優を起用したグラビア&ネットラジオ。
アーススターと消費者の間に存在するのは金銭的な関係であり、つまり「ほら、これが欲しいんだろ?ここにあるんだぜ。くれてやるよ」的な何かを、排他的な僕たちは感じ取ってしまっている。だからアレルギー反応的に、嫌だと言う。そういうところなんじゃないだろうかと思います。
さて、ここでようやく僕個人の感想を差し挟みますが、実は『ヤマノススメ』は非常に面白いと感じています。
ヤマノススメ結構いいぞ。たまゆらを圧縮させた感じ。
— むかいあまのりさん (@mukaiamanori) 1月 5, 2013
これは1話視聴直後の僕の感想です。『たまゆら』と言えば、制作もキャストもファンもそれを愛していて、その結果がネットラジオとか聖地巡礼とかにつながっている、言うなれば愛の象徴みたいなアニメです。
僕は、アーススターだとかそういう余計な情報抜きに、純粋に3分間のアニメーションを消費し、その直後に愛の象徴たる『たまゆら』と同じものを感じ取りました。
たった3分。ひょっとしたら表面的な何かに騙されているだけかもしれません。でも、凝縮された愛のように感じられる何かを、どこかで感じたはずなんです。
『てーきゅう』に対する愛を叫んだ str017 さんも同じであるはず。板垣伸監督と言えば、『バスカッシュ!』の監督騒動のときもそうでしたが、WEBアニメスタイルにてアニメに対する溢れんばかりの愛を書き綴っているアニメーターさんで、ファンから篤く信頼されています。
僕は山本裕介監督がTVアニメ『ヤマノススメ』に対して手を抜いているようには見えなかったし、むしろ充分な工夫で視聴者を楽しませようとしてくれているように感じました。
いや、分かってるんです。だからこそ、『ヤマノススメ』批判を書いた TM2501 さんが、アーススターがアニメーターをいいように使っている(ようである)のに対して憤怒していることは。
だからこそ、その『ヤマノススメ』批判ないしはアーススター批判は、このアニメ放送開始のタイミングにするべきではなかった。TM2501 さんは原作者について多くの情報を持っているし、TVアニメを見て怒り狂ってキーボードを叩いたというわけではないと思う。以前からアーススターに対して思うところがあって、アニメ放送開始に合わせて多少の準備があった、と失礼ながら想像しています*3。
それに実は『ヤマノススメ』批判エントリはTVアニメ『ヤマノススメ』の内容について言及することを避けている。それならば、放送開始前に、山本監督が愛のような何かを見せる前に、この批判エントリを書くべきだったと考えています。
そういう事情で、TM2501 さんが触れなかったTVアニメ『ヤマノススメ』そのものと、それにまつわるオタクたちのコンテンツ愛について書かなければならないと感じ、それを書きました。今日の仕事が全く進んでいません。どうしてくれんだコノヤロー。
思うところ、それぞれ、いろいろあるかと思います。今の時代はそういうのを共有するツールはたくさんあります。紹介させて頂いた2件のエントリ、それから本エントリを読んでどう感じたかを、ぜひどこかで発信してください。僕たちの欲しがっているものに敏感なアーススターの人ならば、そういう発言も目にとまるかもしれません。